日本の社会変革は、日本労働者の力で

二瓶久勝(国鉄闘争を継承する会代表)

この映像の制作者の意図は明確に理解できる。「職場・生産点こそが闘いの主戦場であり、ギリシャのような闘いを日本でもしよう」である。映像もギリシャの労働者の表情を追い、言葉がなくても感性で理解できる場面が多々ある。ギリシャの労働運動総体の闘いが連想できる。ドキュメント映像として秀作だ。

しかし、制作者の意図に反し、日本の労働運動に目を転じると「惨憺」たる状況であり、『労働者 前へ』とはあまりにもかけ離れている。観る人にどのような感じを与えるか心配だ。

世界労連の書記長が、日本のナショナルセンターに「国際交流」を呼びかけても何の回答もない、と言っている。日本の労働者として恥ずべきことだ。日本の労働運動の実態を反映している。いつになるか言いきれないが、その機会を作りぜひ招待したいと思う。

ギリシャ訪問団の人たちに敬意を表する。だが、わたしたちがやるべきことは、この映像が訴えているように「職場・生産点こそが闘いであり、主戦場である」を日本で実践することだ。

少し違う観点での話をする。キュ―バ革命の経過、とくに、カストロやゲバラが闘った武装闘争の正しさを書いた『革命の中の革命』の著者レジス‐ドブレ(フランスの哲学者。一九六七年ゲバラといっしょにボリビアでゲリラ戦を闘い、ボリビアの治安警察に逮捕され懲役三〇年を受ける。その後国際的な釈放運動によって、釈放される)が、『革命の中の革命』で次のように言う。――カストロがオリエンテ州の海岸に上陸する以前に、毛沢東の軍事的著作をよんでいなかったことは幸運だったというべきだろう。それゆえ、彼は現地で、自分自身の体験を通じて、その土地に即した軍事的教義の原則を創りだすことができたのだ。――無論、時代が違うし、世界情勢も大きく変化している。要は、日本の社会変革はわれわれ日本の労働者が、世界情勢を認識し、日本の労働運動をどう闘い、どう前衛党を創りだしていくかである。
それを再認識させられた『労働者 前へ!』の映像である

(『思想運動』2013年9月15日号)

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日本の労働者の希望となる〈ギリシャの闘い〉

山口正紀(ジャーナリスト)

ギリシャ――と聞いて、わたしたちはどんなイメージを浮かべるだろうか。多くの人は、二〇〇九年秋の債務危機後、テレビで流された集会やデモ、警官隊とデモ隊の衝突、火炎瓶や投石など、騒乱の映像を想起するのではないか。

この四年近く、日本のメディアは債務危機の原因として「多すぎる公務員」「手厚すぎる年金」を強調。ギリシャ国債を食い物にしてきた国際投機資本、労働者・市民を犠牲にする政府の財政緊縮策の問題点を問わず、ゼネストを含む労働者の闘いが「危機を悪化させた」と宣伝してきた。

そうしたマスコミ報道を利用し、日本政府・官僚は「日本もギリシャのようになる」と称して、賃下げや労働組合攻撃、社会保障切り下げ、消費税増税政策を進めている。

そんな「ギリシャ像」を根底から覆すのが本作品だ。ギリシャ共産党やPAME(全ギリシャ戦闘的労働者戦線)幹部、労働組合の活動家たちはこの数年の闘いを通して、「ギリシャ経済の危機は、資本主義の危機」と言い切る。

建設労働者の集会、海員組合、造船、飲料産業、乳業などの労働組合の活動家たちのインタビューが興味深い。厳しい闘いのさなかにありながら、明るく自信に満ちたかれ・彼女らの表情が印象的だ。訪問の先々で出会う党や労働組合幹部は、みんなネクタイなどしていない。そのことに、不思議な親近感を覚えた。

「日本もギリシャのようになる」と権力者は脅す。この映画を見て、「日本もギリシャのように」は、日本の労働者の目標・希望になると思った。

(『思想運動』2013年9月15日号)

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日本の労働運動再建の道

内田浩(出版労連)

「たとえ正しい道の上にいるとしても、そこにただ座っていれば車に轢かれてしまう」。そんな言葉を思い浮かべることが、最近多い。自分たちはただ座っているだけではないのか、と。

そんな中、映画『労働者 前へ! PAME 全ギリシャ戦闘的労働者戦線』を観た。チラシを手にした当初は、デモ隊と警官隊との衝突シーンなどが多く、その合い間にインタビューが差し挟んであるような映画を想像していた。が、違った。淡々とインタビュー取材が続き、ショッキングな映像は、ほとんどない。組合幹部らは、時に笑顔を見せつつ冷静な口調で語る。

ただ、単なるドキュメント映画とは異なる。かれらの笑顔の背景には、絵空事が何一つない現実の闘争があった。ギリシャの失業率は約三割、若者では約六割、建設労働者のそれは実に九割。いずれも、日本の現状より過酷である。

にもかかわらず、日本の一年分のストライキを、一週間で打ち抜き、屈服することなく闘い続けている。映画に登場した造船機械工労組委員長は、ネオナチ「黄金の夜明け」のメンバーに襲撃され負傷した。労働者に対する凶悪な襲撃が日常的に行なわれていた――これらの事実こそ衝撃的である。

『労働者 前へ!』を観て想起したのは、テオ‐アンゲロプロス監督の映画『旅芸人の記録』である。青いエーゲ海や白く明るい街並みは撮らず、曇天の下での映像が続く。ファシスト政権下のギリシャの政治情勢が旅芸人の目を通して描写される。一九四四年のシンタグマ(憲法)広場、旅芸人らを含む集会にファシストの銃撃が浴びせられるシーン。軍事政権下で、命がけで作成された映画である。同委員長は言う、「困難に直面しても労働者の団結が崩れない。ずっと闘ってきた過去の歴史が、みなを結束させている」。

『労働者 前へ!』と『旅芸人の記録』がわたしの中で結びついた。

「ギリシャのようになってしまう」。わが国の財政危機について、政財官、メディアから何度も聞かされた言葉である。

多くの日本人は、ギリシャの経済危機をかれらの怠惰に起因すると思い込まされている。

では、日本はどうか。ガソリン料金が上がる。抗議のデモを起こすことなく、われ先にスタンドに行列をつくる、これが、闘わない、闘えない日本の現実ではないか。消費大増税、社会福祉の大幅な切り捨て、弾圧立法の制定など、どれ一つ取っても大規模デモが起きても不思議でない事態である――。「日本のようになってしまう」と世界の労働者たちに言われかねない。

『労働者 前へ!』は、ギリシャの現在を映写しつつ、日本の現在を逆照射した映画であり、そこには、労働運動再生の道が示されている。何が「正しい道」であるか、われわれはすでに充分に知っている。もはや、道の上に座っている時ではない。われわれを轢き殺すべく車が近づいているではないか。

(『思想運動』2013年10月15日号)

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闘う労働者必見の作品

土屋トカチ(映画監督)

財政危機後のギリシャ。日本にいると、混乱したギリシャの断片的なニュースしか届かず、よくわからない。特に労働者は、現在どんな生活を送り、闘争を行なっているのか、わたしは気になっていた。『労働者 前へ!』が完成したと聞き、ぜひ見たいと思った。

作品の軸となっているのは、闘う労働者たちへのインタビューだ。ギリシャ共産党員、建設、海員、造船、飲食、教員、小売店、乳業工場などの活動家たち。男性は若者が多く、女性も複数登場するのが、とても新鮮に映る。この点だけでも日本の状況とかなり違う。

インタビューで興味深かったのが、日曜出勤についてだ。ギリシャでは、日曜日に商店は休むことが法的に義務付けられて、これは労働者の長年の闘いで勝ち取ったものだという。片や、日本ではどうだろうか。日曜日に休む商店など皆無に等しいし、大型スーパーやコンビニは年中無休・二四時間営業があたり前。郊外のショッピングモールは土日だからこそ集客がある。日本には、闘いがないからだと痛感させられる。インタビュー以外で映される街並みも印象的だ。何日も続く地下鉄のストライキや、深夜まで混みあう乗合バス。街中をうろつく野良犬たちなど、闘いの証言が続く映像に適宜に挟み込まれ、いい効果を得ていたと思う。

あえて苦言を挙げるならば二点ある。『労働者 前へ!』というタイトルが、この作品に興味を持つ層を限定しすぎている。観客と想定されるのは、労働運動に熱心な労働者や活動家、研究者のみだろう。本編には、街並みや地下鉄のストなど生活に関わる映像もあり、いい効果を得ているのだから、タイトルや編集方法を工夫すれば広い層にも希求できる作品になりえたのでは、と思う。「ギリシャのように闘う」ためにも、広い層にアピールできなければ、それは「叶わぬ夢」となるのではと危惧してしまう。もう一点は、インタビュー取材において対象者の声が、通訳者の声に消されてしまい、聞き取れなかったこと。日本の観客向けといえ、ほとんど聞こえないのは残念だった。闘う労働者の肉声を、言葉の意味がわからなくても、わたしは感じてみたかったから。

だが、その二点を引いても、闘う労働者であるあなたにとって、必見の作品です。是非。  

(『思想運動』2013年10月15日号)